沖縄/琉球の歴史
沖縄には、琉球王国が成立する以前、およそ3万2000年前から人類が居住していたことがわかっている。
その後、三山時代を経て琉球王朝が誕生、1879年の廃藩置県で「琉球処分」により約450年続いた琉球王国は崩壊・・・
沖縄の歴史は、周辺の大国の狭間で大きく揺れ動いてきた小国の歴史である。
山下洞人、港川人の発見
琉球王国が成立する以前の琉球の歴史としては、今からおよそ3万2000年前の子供の大腿骨の化石が那覇市山下町で発掘された、これが「山下洞人」である。
また、1967年沖縄本島の南部、八重瀬町(旧具志頭村)港川で崖の裂け目から数人の男女の人骨が発見されました。
これが、1万8千年前(旧石器時代)に生きた人骨化石に対して発見場所にちなんで港川人として有名になっています。
山下洞人、港川人の発見により、沖縄には旧石器時代から人類が居住していたことがわかった。
三山時代
琉球は12世紀前後、農耕社会を基盤としたグスク時代を迎えます。
各地には按司(あじ)と呼ばれる首長が登場し、グスクと呼ばれる城壁を築き盛んに勢力争いを繰り広げました。
14世紀には入るとそのうちの3つの勢力が台頭してきます。
今帰仁城を拠点とする北山、と浦添城を拠点とする中山、島尻大里城を拠点とする南山で、この3つの勢力圏に分けられた時代を3山時代という。
これら三山はそれぞれ独立して明に朝貢し貿易を行っていたことが明の歴史書に残っている。
琉球王国樹立
15世紀初めに、佐敷の按司であった尚巴志(しょうはし)が中山王武寧を倒し手中に収めその直後に拠点を首里城に移し、その後、北山、南山を倒して三山を統一し琉球王国がスタート。
しかし、尚巴志没後、7代目の尚徳王が薨去すると1469年、高官であった金丸が首里に迎えられ即位する。ここで、第一尚氏王朝が終わった。
民衆の支持を受けた金丸は尚円と名前を改めて王位につき、第2尚氏王朝がスタートする。
尚円(金丸)の息子の第2尚氏王朝の第3代尚真王は、中央集権国としての基盤を築き華麗な琉球王朝文化を開花させた国王として高い評価を得ている。
琉球王国が誕生して約180年後、尚寧王時代の1609年には、薩摩藩の侵攻を受け薩摩藩の支配下に置かれた。
1872年、明治新政府は琉球藩を置いて尚泰を琉球藩王としたが1879年の廃藩置県で「琉球処分」により第19代尚泰王は首里グスクを退出し、琉球は日本の沖縄県となります。
約450年続いた琉球王国は、幕を閉じた。
近代沖縄
沖縄県が設置されると中央政府から県知事が任命されました。しかし旧支配者などからの反発も強く急激な改革は避けざるを得ませんでした。
政府としては旧支配者の協力なくしては、県政の運営は不可能です。また旧支配者は、自らの特権を保証してもらうほうが得策でした。
富国強兵を目指していた明治政府は1885年(明治31年)に沖縄にも徴兵制を適用しました。
一部の知識階級では国民の義務である徴兵制を受け入れることで日本国民の仲間入りだと考えていた人もいました。
また、入隊した青年の中には標準語が話せない者も多く軍隊内で「琉球人」と呼ぶ差別がありました。この差別から開放されるためにも日本国民として認められるためにも、戦場で戦う決意をした人も多かったようです。
沖縄戦
1941年(昭和16年)12月、太平洋戦争勃発、1944年(昭和19年)、日本政府は沖縄から本土へ10万人の疎開計画を緊急決定しました。既に沖縄近海に米軍の潜水艦が出没していたことから疎開はうまく進みませんでした。同年8月22日、疎開者を含む1700人の乗った対馬丸が米国潜水艦の攻撃を受けて沈没。1500名が亡くなりました。
同年10月米軍機B29による激しい空襲が行われ那覇市の90%を焼失、琉球王朝時代の貴重な文化遺産を数多く失いました。
1945年(昭和20年)3月26日、米軍が遂に沖縄に上陸、日本国内で唯一の地上戦となる沖縄戦が始まります。
パニックになる住民の中、軍からの命令で「自決せよ。」が通達され食料も行き場もない状況で多くの人が家族や親類ぐるみでお互いに刺し合って命を絶った人も大勢いました。
戦後の沖縄
米軍は沖縄に上陸した時点で、沖縄を日本本土から切り離して考えていました。
沖縄は米国の管轄下におかれ、翌年4月、沖縄民政府が設立。知事と議員の公選制も出来ない自立とは程遠い戦前の状況が戻るだけでした。
さらに戦後1946年頃まで通貨もなく物々交換が行われていました。1948年(昭和23年)にB型軍票が使用され、配給物資も有償になりました。1958年からはドルに切り替わり、1972年の本土復帰まで使用されていました。
1952年(昭和27年)4月28日、サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約が発効され日本は独立しましたが沖縄はなおも米軍の施政権下に置かれることになりました。
アメリカ政府は沖縄を「アジアの防共の砦」と位置づけ、1949年(昭和24年)頃から本格的な軍事基地の建設にのりだし、1950年(昭和25年)、軍政府から琉球列島米国民政府(US CAR)が設立されました。
前年の9月に奄美、沖縄、宮古、八重山の各群島で、知事及び民政議員の選挙が行われ群島政府が設立され、初代知事には日本復帰を唱える平良辰男が選出されました。
日本復帰論が高まる中、危機感を持った米国政府は1952年(昭和27年)、琉球政府を成立し、米国政府の支持命令に従わせようとしましたが復帰論は強まるばかりでした。
米国は強制的に土地を接収し安い賃貸契約を結び米軍への土地提供を求めましたが、多くの住民がこれを拒んだため、米国は1953年(昭和28年)、「土地収用令」により強制的に土地を取り上げました。
1960年から15年間のベトナム戦争では沖縄は米軍の後方支援基地となり、反戦・反基地運動が高まりました。
しかし、「基地をなくしたい」という住民の理解が得られないまま1971年6月17日、沖縄返還協定は調印されました。
沖縄返還
1972年(昭和47年)5月15日、遂に沖縄住民の悲願であった「祖国復帰」の日がきました。
本土復帰後の最初の知事選では「国の政策と直結した経済優先」を唱えるよりも「基地撤去による平和な島作り」を目指した屋良朝苗氏が選ばれる結果となりました。
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