沖縄の世界遺産は、首里城跡、中城城跡、勝連城跡、座喜味城跡、今帰仁城跡の5つのグスク群と王家の別邸だった識名園(しきなえん)、墓陵の玉陵(たまうどぅん)、祭祀の場所として重要な役割を果たした斎場御嶽(せーふぁうたき)、園比屋武御嶽石門(すぬひゃんうたきいしもん)の計9つが登録されている。

今帰仁城は、13世紀末琉球が北山、中山、南山の三山に群雄割拠していた頃に、湧川按司(わくがわあじ)によって築城されといわれている。
今帰仁城は、複雑な地形を生かして1.5kmにわたって張り巡らされた堅固な城壁が特徴で大小8つの城郭からなる連郭式の山城である。
北山王は6代続いたが怕尼芝(はにし)によって滅ぼされ、その後、怕尼芝が北山王を名乗り、その4代目の攀安知(はんあんち)は、中山王、尚思紹の息子、尚巴志によって滅ぼされる。

座喜味城は、15世紀に読谷地方を治めた護佐丸(ごさまる)が築城したとされたる二連郭式の城である。
護佐丸は、中山軍尚巴志の北山討伐に加わり、戦功を上げて以来、尚氏の忠臣として活躍する。
座喜味城を築城するに当たり、護佐丸は、広く奄美地方からも人夫を徴用した。過労で死者が出るほどの重労働であった。
護佐丸が、奄美地方に与えた影響は大きく、今でも、泣く子を黙らせるのにと「護佐丸がくるぞ」と言うそうである。

勝連城は、11〜12世紀に築城され。15世紀に阿麻和利(あまわり)によって修築された。
与勝半島の丘陵を利用して造られた石垣は今も残っている。自然の断崖をうまく利用した連郭式ではしご型の城郭である。
最も高いところが標高97mの一の郭で順次低くなり四の郭は63m、二の郭には、按司の館、つまり、正殿に相当する建物があったであろうことがわかっています。
阿麻和利は、読谷山間切の出身で百姓から身をおこし、圧政を強いていた茂知附(もちつき)を倒して城主になった。
しかし、1458年、護佐丸、阿麻和利の乱で王府軍に滅ぼされる。歴史書では、逆臣扱いされている阿麻和利だが、勝連城の発掘が進むにつれ、領民からの信望が厚かったその人物像が見直されてきている。

中城城は、標高160mの高台に琉球石灰岩で築かれた山城で、名将・護佐丸の居城として有名ですが、それまでは先の中城按司(あじ)たちの系統が何代かにわたり、築いたと言われています。
その後、15世紀半ば勝連城の阿麻和利牽制の為、王命により護佐丸が座喜味城から移り住み、北の郭と三の郭を増築した。
この中城城は、沖縄に残る数あるグスクの中でも遺構が最もよく残っていて、研究上でも貴重な遺産である。
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