沖縄の世界遺産は、首里城跡、中城城跡、勝連城跡、座喜味城跡、今帰仁城跡の5つのグスク群と王家の別邸だった識名園(しきなえん)、墓陵の玉陵(たまうどぅん)、祭祀の場所として重要な役割を果たした斎場御嶽(せーふぁうたき)、園比屋武御嶽石門(すぬひゃんうたきいしもん)の計9つが登録されている。

正殿に向かって左側の建物が北殿で、役所や議事堂として使用れたほか、冊封使の接待として使用された。現在は復元作業時のフィルム上映やパネルを展示している。
正殿は、国王が政務や儀式を行う首里城の中枢で、巨大木造建築物。
高さは、18m、幅29mの3階建て。
正殿に向かって右側の建物が南殿で、行事や祭事を行う場所。薩摩からの役人を接待する場所としても用いられた。現在は、王朝時代の漆器や絵画などの美術工芸品が展示されている。

園比屋武御嶽石門(すぬひゃんうたきいしもん)は、首里城跡の一部で守礼門の後方にある。
第2尚氏王統第3代・尚真王によって1519年頃創建されたと記されている。
石門の横幅は、2.4m 奥行き2.5m 高さ2.2m。屋根と門扉を除けばすべてが琉球石灰岩や微粒砂岩の石造りになっている。
園比屋武御嶽は、もちろん石門のことではなく、背後に広がっている森全体のことで石門はその入り口に過ぎない。
この一帯は、沖縄戦ですべてが焦土になり石門も首里城とともに壊滅したが、1957年に修復し、今では石門の後ろの森も蘇っている。

玉陵は、首里城への大通りである綾門大路(あやじょううふみち)の南側に建つ、第2尚王朝の王陵である。
1501年、第3代尚真王が父尚円王の遺骨を改めて埋葬するために建立した。
石造りの墓は、洗骨前の遺体を入れる中室、国王、王妃の遺骨を安置する東室、それ以外の王族の遺骨を納める西室の3つの墓室で構成されている。
玉陵も沖縄戦で破壊されたが、1974年から約3年間かけて修復工事を行い、当時の姿に戻った。

斎場御嶽は、沖縄創造の神アマミキヨが造ったとされ、沖縄で第一の聖地で、最大の祭祀の場所である。
琉球王朝時代、神女の国家的組織が確立。その頂点が「聞得の大君」(きこえのおおきみ)である。その位には王女、王妃、王母と代々王族の女性が就き、その即位式「御新下り」(おあらおり)が、斎場御嶽で行われた。
大君になる女性はこの霊場に上り、久高島のノロ(祝女)から神霊を授かる。そして、この御嶽で一夜を過ごさなければならない。
金屏風をまわして寝所を作り枕を二つ並べる。一つは彼女自身のでものであり、もう一つは、神のためのものだ。
神と一夜を過ごし、夫婦の契りを結ぶ儀式である。
その儀式が済むと、神の分身の聞得の大君に就任する。

識名園は、琉球王家最大の別邸である。
琉球第二尚王朝十四代王、尚穆(しょうぼく)の時代1783年に着工し、十五代王、尚温の時代1800年に完成した。
国王一家の保養地として、また、中国の使者として訪れる冊封使を歓待する場として利用された。
この識名園は王家二つ目の別邸で、最初の別邸は17世紀後半に建てられた、御茶御殿(うちゃうどぅん)で、首里城の東に当たることから、「東園」と呼ばれ、識名園は、首里城の南に当たることから「南園」と呼ばれた。
沖縄戦で壊滅的な打撃を受けたが1975年から20年の歳月と約8億円の費用をかけて再建された。
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